「祈りと涙」
2020年 07月 13日
2020年7月12日
詩篇6篇1−10節
太田 穣 神学生
「みなさんは最近、いつ泣きましたか。」
6:6 私は嘆きで疲れ果て
夜ごとに 涙で寝床を漂わせ ふしどを大水で押し流します。
6:7 私の目は苦悶で衰え 私のすべての敵のゆえに弱まりました。
→目が苦しみの中で衰え、敵のゆえに弱まり、落ち込みと疲労が極限まで来て、自分ではどうしようもできない状況に置かれて泣いている。
6:1 【主】よ 御怒りで私を責めないでください。 あなたの憤りで私を懲らしめないでください。
「...ないでください。...ないでください。」 →強調型
どうにか苦しみを取り除いてほしいというダビデの切なる願い。
・自分自身の罪によって苦しい状況に置かれている。この詩篇は、悔い改めの詩篇とも呼ばれている。
6:2 【主】よ 私をあわれんでください。 私は衰えています。
【主】よ 私を癒やしてください。
私の骨は恐れおののいています。
6:3 私のたましいは ひどく恐れおののいていま
す。
【主】よ あなたはいつまで──。
6:5 死においては あなたを覚えることはありません。 よみにおいては だれがあなたをほめたたえるでしょう。
「恐れおののいています...恐れおののいています」→神様の怒りを自分自身の罪によって招いていると 感じたダビデは、深く動揺している。
「私の骨」、「私のたましい」→人間全体
「よみ」→(シェオル)。この世を去ったものが行く場所。静かで、暗く、希望がなく、生きたものからは断絶されたところ。ここでは、死という悲劇のイメージを喚起する詩的な語。
→私たちは罪びとである。苦しい状況を、全て神様の怒りであると考えることは間違っているが、その苦しい状況は、自分の罪によるものではないかと考える必要がある。自分の罪深さをいつも考え、悔い改める必要が私たちにはある。
では、自分の罪を認め、悔い改めたダビデは、 何を根拠に神様の哀れみを求めたのか。
→神様の恵み。
6:4 【主】よ 帰って来て 私のたましいを助け出してください。 私を救ってください。あなたの恵みのゆえに。
「【主】よ帰って来て」
→神様との関係の回復を求めている。
→神様の恵みだけが、救いの根拠であり、問題の唯一の解決策であるとダビデは歌っている。
6:8 不法を行う者たち みな私から離れて行け。 【主】が私の泣く声を聞かれたからだ。
6:9 【主】は私の切なる願いを聞き 【主】は私の祈りを受け入れられる。
6:10 私の敵が みな恥を見 ひどく恐れおののきますように。 彼らが退き 恥を見ますように。瞬く間に。
→自分自身ではなく、神様の恵みに信頼したからこそ、ダビデはこのように大胆に歌うことができた。
ローマ5:6-9
→私たちが弱かった時に、罪人であった時に、イエス様は、私たちのために死んでくださった。その血によって、正しいものであるとされた私たちは、神様の怒りから救われる。それほどまでに私たちを愛してくださっている方がいる。 私たちの泣く声を聞いてくださる方がいる。だからこそ、私たちも、ダビデのように、神様の前で泣いていい。自分自身の罪においても、感情においても、全てにおいて、神様の御前に出すことがゆるされている。なぜなら、私たちには、イエスキリストの愛と恵みが与えられているから。
★イベント★
☆ Heart & Soul(毎週金曜夜) * 7月から様子を見つつ再開予定です。
☆愛知県の緊急事態宣言が解かれる六月からグレイスハウスで集っています。三月の頃のように、普段の生活の中でもうつらぬよう、気をつけつつ、礼拝では消毒マスク着用、換気を徹底して行くつもりです。